リフォームをお考えなら、豊田市とみよし市で50年以上に渡って住宅リフォームを施工しているリフォーム会社、ハートリフォームあさひ(朝日建設株式会社)へ。施工実績は年間200件以上。下見・調査に時間をかけ、納得されるまで打ち合わせ!
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代表プロフィール

はじめまして!
「どんなことでも聴いてもらえて、話しやすい」といわれる、豊田市で、リフォーム会社を経営している安藤伸二です。

まじめに、コツコツ仕事をして人をよろこばす父の後ろ姿を見て育ってきました

そんな父を見習い、「なにかあったときには、安藤さんに電話すればいい」と言われるように、まい進していきます。

ハートリフォームあさひ:株式会社 朝日 代表 安藤
なぜわたしが【責任】を使命に掲げているのか、そのわけを聴いていただけますか?

「おとうちゃん、すげえなぁ!」

わたしが生まれ育ったところは、豊田市の北部。山の中の人口も少ない田舎町。プールがなく、川で水遊びをするようなところです。

たまの休みに、父は、よく川に連れていってくれました。父は、一晩川に仕掛けをしてうなぎを釣ったり、とあみで魚を釣ったりしてくれました。

父は、平日は、電気配線の仕事。日曜日は、山の段々畑に、小豆や大豆を植えたり、田植えをしていました。

まじめに、コツコツ、黙々と仕事をしている父の姿が印象的でした。日曜日も休んでいる姿をほとんど見たことがありません。

小学校のころ、父は、家の近くの現場によく連れて行ってくれました。

木造住宅の土壁の内側に配線工事をする。そのときに落ちた土壁のかけらを掃除をして手伝うのが、わたしの役割でした。

父と一緒に仕事をしている感じがして、とても楽しかったです。

一通り配線工事が終わり、最後に照明器具を取り付ける。すると、部屋に、パッと明るく電気が灯るのです。

その瞬間が、いつも興奮です。

「おとうちゃん、すげえなぁ。おとうちゃん、かっこええなぁ。」

そんな父の姿を見て、ある想いが湧き上がりました。

「ぼくは、大きくなったら、建築技師になる。」(小学5年の文集より)

プロフィール

 

「ぼくだけ入学式に来てくれなかった」

わたしは、3人兄弟の真ん中。5歳上の兄と1歳下の弟の真ん中。

母は、1歳下の弟に手がかかっていました。しかも、家のこと、仕事、畑のことと、父同様に忙しかったのです。そのため、私は、おばあちゃん子として育ちました。

昼間、おばあちゃんが、田んぼの水を見に行くというと、いつも後ろをついて行きました。一人だと心配だったので。

小学校の入学式のとき、母は、弟の幼稚園の入園式に行きました。私は、おばあちゃんと一緒に、入学式に行ったのです。

まわりを見ると、
「ぼくだけ、お母さんが、入学式に来ていない。」

学校から帰ると、父が、「一緒に写真を撮るか?」と言ってくれました。父のひと言がとてもうれかったです。

いつも、父と母がいない、寂しさを口にすることができない。その辛さを忘れるように、みんなの輪の中にいることが好きでした。

柿の木に登って柿を取ってきたり、モノマネをしてみんなを笑わせることが、大好きでした。

みんなの輪の中にいて、みんなをよろこばせることで、寂しさを感じないようにしていました。

そんな私に、中学校のときに、ある転機が訪れたのです。 中学2年のとき、図書委員長になりました。各クラスから選ばれた図書委員にやってもらう作業がありました。

「みんなができるように、みんなが苦労しないように。」休みの日に学校に行って、下準備をしました。

それを図書委員担当の先生が見ていてくれて、学校から表彰されました。さらに、卒業文集では、その先生が、「安藤くんには、大切なことを教えられた。」ということを書いてくれました。

わたしは、とてもうれしかったのと、とても誇らしく思えました。

がんばることで、親身に受け止めてもらえることが、糧になるという確かな実感があったのです。

学校から帰ると、父が、「一緒に写真を撮るか?」と言ってくれました。

 

「現場の出来が一番よいね」

小さい頃からモノづくりや建築に興味がありました。地元の高校を卒業後、建築の専門学校に入りました。

その後、友人の父親が働いていて、身近に感じた地元の建築会社に入社しました。

20代は、がむしゃらに仕事をしました。仕事を覚えなきゃいけない、資格を取らないといけない。夜中の1時まででも、いとわず仕事にのめり込みました。

現場代理人として、工期を守ること、現場の監理を任されました。

現場代理人として、工期を守ること、現場の監理を任されました。

ある台風の夜。
夜中にトタン屋根が、強風で飛ばされないように、プレハブの現場事務所に泊まったこともありました。

現場の責任者として、現場を守ることだけ日々生活していました。

そんな心掛けを発注者である役所の担当者の人が見ていてくれたのです。

「安藤くんの現場の出来が一番よいね。」

このように、ほめてくれたことが、とてもうれしかったです。

責任を持って、真面目に実直にやるといいことがある、という、その後の仕事への確信を持てました。

責任を持って、真面目に実直にやるといいことがある、という、その後の仕事への確信を持てました。

 

「一生懸命やっているのに、なんで…」

40代のとき、リーマンショックで、会社の方向性が大きく変わりました。役所の仕事の採算が悪化し、新しく始めた輸入住宅の販売の落込みが原因です。

そこで、私が44歳のとき、社長が新しい事業部を立上げました。私は、そこの事業部長に任命されました。リフォームを中心とした新規顧客開拓です。

あるとき、会社に入ったFAX-DMが、チラシを使った集客のセミナー案内でした。社長から、「おまえ、行ってこい。」と言われ、東京まで行ってきました。

講師の社長さんの倒産したり、夜逃げしたりしてもやり抜いた姿にとても共感しました。会社に帰り、社長に「やらせてください。」と頼みこみました。

ところが、いざチラシを作ろうとすると、新築の輸入住宅の営業部長から横槍が入ったのです。

「こんなチラシで、会社のイメージを壊さないでくれよ。」

このように強く言われると、言い返せないのです。言いたいことを言えなくなってしまうのです。

意気込んで始めたチラシ集客。チラシを作りたいけど作れない。そんな有様なので、私の新規事業は、なかなか結果が出ません。

そんなとき、輸入住宅の営業部長から会議の席で、非難されました。

「結果も出さないのに、なにも対策もしないで。
誰にメシを食わせてもらっていると、思っているんだ。」

その言葉に、社長までも同調して、私を非難しました。
その瞬間、私の中で、なにかが弾けました。

「こんな会社辞めてやる!」

そう言い残して、家に帰りました。

営業を教えてもらったことがない、
なにか1つ教えてもらったことがない中で、
自分なりにやっているのに…

一生懸命やっているのに、みとめてくれない。

「なんでこんなところで、我慢しなきゃいけないんだ。」

悲しみと、腹の中が煮えくり返る想いが湧き上がりました。

その後、社長が、私の家に飛んで来て、謝りました。「そんなつもりで言ったんじゃない。君がいないと困るんだ。」

社長に謝られては、会社を辞めるわけにはいかなくなりました。

会社に残ったものの、前となにも変わっていません。なにか行動や考え方が変わったわけではないのです。

「自分は、営業マンじゃないのに、なんでこんなことをやらなきゃいけないんだ。」

そもそも、このような意識が強くあったのです。

自分から「やらせてください。」と言って始参加した、チラシ集客の勉強会。会に参加して、2年が経ったときのことです。

一緒に学んでいる経営者の方から、ガツンと言われました。

「2年も入っていて、チラシを作らなきゃ、結果が出るはずない。
お金払って、もったいない。」

そのひと言で、目が覚めました。

営業を教わったことがないので、仕事が取れなくても仕方ない。
この会社は、人を育てるのが下手だ。
そもそも、自分は営業として入ったのではない。

心の底で、そんな言い訳と他人のせいにして、結果を出そうとしていなかったのです。

事業部長としての立場、
数字をあげる、営業としての立場、
そのような立場から逃げていたのです。

なんとしても、結果を出すことから逃げていたのです。
なにごとも、自分ごととして、捉えることから逃げていたのです。

このことに気づいた瞬間、いままで自分がやってきたことが、とても恥ずかしく思えたのです。

この経験から、わたしの使命を【責任】とすることにしたのです。

わたしの使命を【責任】とすることにしたのです。

「なにかあったとき、安藤さんに電話すればいい」

「結果を出そうとしていない」

このことに気づいてから、考え方と行動がガラッと変わりました。

まず、先生のところに飛んで、チラシの作り方を学びました。会社に戻り、すぐにチラシを作りました。

輸入住宅の営業部長から、チラシについて反対があっても、押し切りました。

わからないなりに、結果を出すために、がむしゃらにやりました。 どこに逃げるわけにいかない。
誰かのせいにするわけにいかない。

チラシで集客をする以外に道はなかったのです。チラシが最後の砦でした。

「結果を出そう」と決意してから、自分の中で、ある変化がありました。

責任を取ることで、前向き気持ちとワクワク感が出てきました。また、本気でやっているという実感がありました。

なにより、人の話を素直に受け止められるようになったのです。

その結果、お客さんからの反応も変わっていったのです。

「いろんなことを聴いていただき、キチッとやっていただいた。」

「何度もいろんなメーカーに連れて行っていただき、親切丁寧に説明していただいた。」

「下水管まで掃除していただいた。普通だったらそんなところまでやらないことまで、やっていただき、感激しました。」

このように、お客さんに言われるようになって、この仕事をやっていてよかったと思えるようになりました。

お客さんとの関係も変わることで、チラシ集客による結果も出てくるようになったのです。

結果にこだわり、責任を持ってやることで、「やればできる。」という自信にもなりました。

なりより、結果を出すことで、私を非難していた営業部長や社長の態度も180度変わったのです。

「すごい!」
「がんばったな!」
「やればできる!」

と、声をかけてくれるようになったのです。

残念ながら、その後、会社全体としては、経営が立ち行かなくなり、清算することになりました。

当時わたしは、56歳で、新たに職を探すことも難しい年齢でした。3年前に、やむなく自分でリフォーム会社を立上げることにしました。

そして、いま、そのときのお客さん含めて、大切なお客さんに支えられて、いまに至っています。おかげさまで、社員2名、パート2名を抱える会社にまでなりました。

「住んでいる人のことを、よくよく考えてくれて、見た目も綺麗に、使い勝手もいいようにやってくれるのは、すごい。」

「信頼できるリフォーム屋さんを一軒決めとかなゃと思っていた。安藤さんなら、なにかあったときに、電話すればいい。」

「安藤さんのおかげで、長生きして、快適な老後の生活を送れる。」

このようなお客さんの声に支えられると、あのとき、あきらめず、結果を出すことにこだわってよかったと実感します。

「親身になって話を聴いてくれる人がいない。」

「安心してお任せできる人がいない。」

「老後の生活を快適に安心して暮すにはどうしたらいいのか。」

そんなことで、悩んでいるお客さんの笑顔のために、心を込めて、責任を持って仕事をします。

お客様といっしょに写真
最後になりますが、
たいして親孝行できないうちに亡くなってしまった父へ。

「おとうちゃんのように、
お客さんの心に、パッと明るい光が灯せるよう
一生懸命がんばるからね。」

 

ハートリフォームあさひ (株)朝日 代表取締役
安藤 伸二

 

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